思惑は「いつ日本は憲法9条改正して、アメリカとともに戦争ができる国になるか」集団的自衛権~緊急年末憲法討論報告②

緊急年末憲法討論より(2013年12月23日)

 2014年春予算成立後、通常国会にて安全保障基本法が提出されようとしています。日本国憲法前文、9条をなし崩しにしようと安倍首相は考えています。自民党の使命である憲法改正について、安倍首相は明文改憲でなく、そもそも解釈改憲で進めようとしていたことは明白です。
 「集団的自衛権への解釈改憲をするということは、どういうことか?」について、緊急憲法討論で小林節先生と伊藤真先生の二人の憲法の専門家の発言から考えました。

 
 35年以上自民党と憲法の部会を持つ小林節先生は、アメリカ政府高官、ホワイトハウスの安全保障シンクタンク、副大統領、大使館の公使から、一貫されて「いつ日本は憲法9条改正して、アメリカとともに戦争ができる国になるか」と聞かれています。日本は、イギリスのようにアジアの中で集団的自衛権を担う役割をアメリカから求められています。アメリカが世界の警察の役割を辞めようととしているとき、日本が担うには割に合わないと小林節先生が指摘していました。
 国際法上集団的自衛権は、自国と同盟関係にある国が、紛争に巻き込まれたときに、「あんたが悪いんじゃないの」という四の五のいう前に飛んで行くことができる権利です。また日本が紛争に巻き込まれたときに、日本が悪いとか関係なく、同盟国が助けにきてくれる相互関係です。国際関係である安保の関係で、日本はアメリカがどこかで戦争を始めるにしても、何か戦争が起こった時、イギリスのごとくアメリカのメジャーの戦をすべて付き合わなければなりません。しかしイギリスではシリアの戦争の時、首相は即行きますと言いましたが、両議会で反対されました。そのときの議会を傍聴席していた小林節先生は、「二度とアメリカに騙されるな」という与野党議員の発言を目の当たりのしました。今、世界はそのような状況なのです。

 
 憲法第9条の第一の目的は、二度と侵略国家にならないこと、つまり海外に兵隊を出さないことです。「集団的自衛権」は、憲法の趣旨から解釈すらできないものなのです。

 再度繰り返しますが、集団的自衛権を認めるということは、例えば「私(日本)が襲われたらアメリカさん助けてください。アメリカが戦争するところには、どこでも私(日本)付き合います。」ということです。集団的自衛権を安倍政権は権利のように言っていますが、アメリカに呼び出されるという義務が発生するのです。このことは、今の日本国憲法の条文からみてもありえないことであり、解釈で改憲する!なんてことは、現在の憲法を絞め殺すことになります。解釈改憲したからいいだろうという問題ではありません。国民的大論争が必要だと小林先生が指摘していました。

 伊藤真先生は以下の点を指摘しました。「集団的自衛権というテーマ以外にも、『そんなことしませんから、安心してください。』しないということをいうことほど信じられない。市民の皆さん関係ありませんからしません。」ということの政府の発言は、信頼することはできません。「しない」というならば、「しない」ということがわかる客観的制度を付けねば、私たちは信頼することができません。

「できない」と「しない」は違います。今の憲法では、集団的自衛権はできないのです。憲法の解釈では、できないのです。
 

 集団的自衛権を明文化あるいは解釈改憲して、「できるけどしません」とか、「地球の裏側まで行けるけどできませんから、安心してください」とか、「そんなアメリカの要請は拒否します」とか・・とうのは、おかしな話です。解釈改憲云々もアメリカとの信頼関係を強めたいといのが一番の狙いです。「アメリカから要請されて、日本はいけません」とはありえない話です。今は憲法9条があるから、「行けない」と言えるのです。例えば集団的自衛権を認め、「行ける」となった場合、同盟国のアメリカへ「行けるけど行けません」とは、相手(アメリカ)からいうと腹が立ちます。ますます関係はまずくなるのは明白なことではないでしょうか。

 
 政府の勝手な暴走を許さないために、その権力を縛るために憲法が必要なのです。憲法に書かれている以上のことをしてなならないのです。

 今後予算が成立したあと、安全保障基本法を提案しようとする政府に私たちはしっかり目を光らせていかねばならないと思います。具体的な問題となり、具体的な形になったときが要注意!

 今後集団的自衛権について、解釈改憲なり、内閣で閣議決定でなんらかしらのきちっとした文章を作られたとしても、自衛隊という国家機関が動く以上、手続法がないと動けません。安全保障基本法を作って、イージーな海外派兵の手続きを具体的にしていきます。今は手続きがありません。今後橋を作るような法律の審議が始まるわけです。

 2014年、憲法が解釈改憲など大きな動きが考えられます。憲法の危機=私達の人権の束の危機!です。私達一人ひとりが憲法に書かれている不断の努力をせねばならない年になっていくでしょう。私は、地域の中で、生活の道具として憲法を使いこなせるよう裾野を広げるための種まきをあちらこちらで実践していきたいと思います。

 来年もおおぜいの人とのつながりから、憲法を生活の中で活かすことを根本にすえ、議会活動にも生かしていきます。

 皆様へ、次世代が希望へと繋がる良い年になりますように!来年も足元を大切にしていきます。