再び富岡町へ~仕事起こしのつながりから

帰宅困難地域前の柵前にて。

夜ノ森の桜は今年も咲いた。自然は時を刻む。

 

案内人の地元の方の娘さんが2011年卒業。二度とくることはないと話していた当日に、まさか避難するとは想像だにしていなかったそう。

中学校の校庭には行き場のない汚染土が山積み

地元の人から当時の話を伺います。

 

今年4月のコットンプロジェクトのいわきツアーで一度訪問した福島県の富岡町へ再び訪問する機会がありました。今度は富岡町にかつて住んでいた住民の皆さんと一緒です。(2014年8月17日)

それは、環境まちづくりNPOエコメッセと仕事起こしプロジェクトでつながりがある、地元のさくらショップの女性たちがぜひエコメッセの皆さんに、富岡の町を見て欲しいと言われ、今回の訪問が決まりました。

車内では0.6ミリSv。まちあちこちに除染された土が

袋に入って、山積みされたままでした。

年間20ミリSvまでは避難指示解除準備区域、
年間20~50ミリSvが居住制限区域、
年間50ミリSv以上が帰宅困難区域

富岡町は、同じ町内で居住制限区域と帰宅困難区域が混在します。
空気は行き来しているのに、帰宅困難地域の向こうへ行けない柵と錠がされています。

庭には大きく成長したワラビが。でも食べることはできない。

町の中は、除染をする作業員と日中の時間だけ帰れる居住制限区域の住民らしき人がいるだけでした。

今回案内をしてくれた女性の夫は、富岡町の人は原発の仕事で生活が成り立っていた話を複雑な思いとともに、3年経った今、ぽそりぽそりと話をしてくれました。