今、震災への対応、福島原発の事故の処理を通じて、誰かにお任せにできないことが露呈。ますます私たち一人ひとりが主権者として、政治に関心を持ち「自立した市民」であることが問われています。
◆私と「国分寺・市民憲法教室」の出会い
私は、2003年から一年間、「国分寺・市民憲法教室」で学びました。授業の内容は、はじめの1時間を憲法講義、後半は最近の新聞の記事をもとに憲法の視点でどのように考えるか受講生とともに議論しました。当時は小泉政権下、「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」を成立させ、陸上自衛隊と航空自衛隊を派遣。また有事3法(武力攻撃事態法、改正自衛隊法、改正安全保障会議設置法)の成立のことが新聞紙上でとり上げられていました。子育て真っ最中の私は、多くの疑問を抱く中、憲法から考えること、戦争を経験した世代の人たちと学び合うことで、自分の頭の中で考え、「私」はどう判断するかということの大切さを実感しました。この時の山崎先生の「自立した市民」という言葉が今でも事あるごとに胸に響きます。
国分寺・市民憲法教室10周年記念行事で山崎先生は、「自立した市民」について以下のように発言しています。「日々政治であれ、経済であれ、歴史であれ、われわれの文化に関わり深い社会でのさまざまなできごとに対して、私どもは自分の目で見て、自分の頭で考え、自分なりの責任のもてる判断ができるような人間になりたい。それを踏まえたうえで、必要とあらば、そして、志、目的を同じくする者がいた場合には、みんな、個人であれ、団体であれ、政党であれ、対等な立場で連帯ができる、そういう人間になることが大事なのではないか。」(「憲法ここに生きている」の10周年記念行事まとめより抜粋)1年間の学びを通じ、自分ができることの一つとして身近な地域で憲法と生活を結びつけた活動を続けていきたいと思いました。
山崎眞秀先生が亡くなられた後、2008年に「国分寺・市民憲法教室」は奥様の翠さんを中心に世話人6名で再開しました。2008年、2009年は、只野雅人先生を講師に迎え、2010年は池上洋通先生のご指導のもと「憲法と地方自治」をテーマに憲法学者や現場で活動する方々を講師に迎え学びました。2011年度は「憲法と人権」について学んでいます。
◆憲法3原則は地方自治から
2011年度第1回の講師上原公子氏の講義は、あらためて憲法の構造、つながりに気づかされました。首長経験の現場で、憲法3原則を地方自治から実践してきた言葉だからこそ、非常に重みがありました。
憲法の目的は、基本的人権です。その人らしく生きる権利です。そのための手段として、統治機構があります。
人がその人らしく生きるために、憲法3原則「基本的人権」「国民主権」「平和的生存権」は大前提です。この3本柱を保障するためには、人が生きることが保障(25条)されねばなりません。そのためには平和でなければなりません(前文、9条)。憲法の価値を実現するには教育は重要です。学ぶことの権利の保障(26条)、働く権利の保障(27条)など暮らしの中に密接に関わっています。私は、何のために議員をしているのかという問いかけに何度も憲法の基本的人権の条文を読みます。
一方、身近な実践の場が地方自治(92条)です。自治体職員は、職務に就く最初の時に憲法を宣誓します。憲法を護る、保障するのは、99条の首長や自治体職員や市議会議員等の権力を持つ側です。だからこそ市民一人ひとりが99条の職務の人たちを監視する「不断の努力」がなければ、人権や民主主義はあっという間に失う可能性があるということも憲法から学びました。
◆主権者として
今、「原発」是非を問う国民投票の市民運動の動きがあります。私たちは、国民投票を経験したことがありません。いざ何か決断を迫られた時、「私」はどう考え、どう責任を持って判断するか。そういう場に直面することが将来あるかもしれません。そのとき憲法から考える視点、日常から憲法から考える学びの場は重要になってくるのではないしょうか。
憲法は全ての法律の基本理念です。日本をどんな国にしたいですか?広がれ!地域のあちこちで憲法を勉強する市民の輪。
*夏は特別講義として、杉原泰雄氏(一橋大学名誉教授)から「憲法と教育権」について学びます。