与謝野町は、障害児教育に早くから取り組んできた地域です。1951年障害者の特別学級増設が進中、子どもを学ばせたい!という保護者や教師が10年以上運動をし、与謝の海養護学校を開校させました。当初高等部は、20代以上の子どもたちが通学する中、せっかく学校をいれたが就職がない、卒業後どうするかが課題となりました。
1975年何もない中、行政の支援なく、手弁当で退職した教員が中心になり、京都府初の作業所を作ってきました。作業所を建設していく中で、地元住民の反対や住民投票をしての反対などもありました。そのような中もあきめず、ねばり強く、活動していき、公共施設の空いたところへ事業所やグループホームを展開していきます。障害者相談支援センターは、元交番、子育て支援に使用していた施設をグループホームとして活用しています。野田川共同作業所は、5年かかって京都府から貸してもらっています。10人ではじめた作業所は、現在250人もいます。地域に雇用も創出してきたのです。
与謝野町の財政は、合併したとはいえ、けっして裕福ではありません。だからこそ民と協働して、「安心どこでもプラン」地域福祉空間整備の施策を、「自助 共助 公助 =協働」とテーマで具現化し、少ない経費で効果を発揮できることを展開していました。