広島原爆63年目の夏に思う

おばあちゃんから語られたことを思い出す

 1945年8月6日、広島に原爆が投下されました。当時祖母は、広島県呉市で二人の子どもを育てていました。祖父が手先が器用だったため、戦地へ赴くのは免れ、軍需工場で働いていました。普段はまったく当時の話を語らない祖母。5年前子どもの宿題がきっかけで、当時の話を聞きました。
写真右、市役所ロビーでの平和のパネル展

 当時、普段と変わらない朝でした。祖母は、日常の家事をこなし、祖父を送り出しました。隣には、みっちゃんという10代後半若い女性がいて、広島市内へ働きに行っています。いつものように隣のおばさんが、みっちゃんに「行ってらっしゃい」と声をかけていました。祖母も「行ってらっしゃい」と声をかけたそうです。何の変哲もない、普通の朝。

 8時15分、広島に原爆が投下されました。祖母は大きな音に驚き外へ出ました。広島上空に、きれいな雲が見えたそうです、

 広島への交通は遮断。となりのおばさんはみっちゃんを探しに歩いて行きました。1週間ほどして、おばさんは、シャレコウベを抱えて帰ってきました。
 
 おばさんは、シャレコウベを抱え「ウオンウオン」泣きます。祖母は、涙が出なかった。ついこの前、「行ってきます」といったみっちゃんとシャレコウベが同じだと実感がわかなかったそうです。戦争とは、一瞬のうちに命を奪います。それも普通の日常を送る、何ら非のない市民を簡単に巻き込んでしまう。

 さて私は、この時期、子どもたちと平和についてよく話します。広島のこと、今も世界では紛争が起こり、権力によって命が奪われていることを。しかし、学校では、広島のこと、日本で戦争があったことが積極的に語られていない。今日は、部活があり、学校にいました。平和のことを子どもたちへ語るチャンスのはず。黙祷もなかったようです。

 今、市役所ロビーで平和の写真展が行なわれています。戦争の悲惨さなど写真から伝わってきます。昭島市は、非核宣言の都市です。ぜひ子どもたちへ、伝えるべきではないだろうか。