港町・尾道の地域資源『帆布』を活かし、まちづくりをすすめる

NPO工房おのみち帆布を視察して

NPO工房おのみち帆布代表の木織雅子さん(レトロな建物尾道商業会議所の議場にて)
NPO工房おのみち帆布代表の木織雅子さん(レトロな建物尾道商業会議所の議場にて)
 NPO工房おのみち帆布は、2003年に代表の木織雅子さんを中心に7人の女性たちで立ち上げました。尾道特有の帆布(ハンプ)をバッグや帽子など150種類ほどの小物を商品化し、販売しています。設立のきっかけは、木織さんら異業種の女性たちが、尾道帆布(株)の工場見学に行ったこと。尾道のあらたな土産として持ち帰ってもらえるものがないか模索していたところ、帆布と出会いました。船の帆からテントの素材として使われていたもの需要はどんどんなくなってきていました。その帆布の素材で洋裁が得意な女性が小銭入れを商品化したのが最初。商品開発にはみんなで話し合います。

 商店街の男性陣もだんだんと協力、商店街の空き店舗を使い、店舗を構えます。「商店街は一つ一つの商店が出来上がったもの。どんと急に構える大型店舗とは違う。」と言い切る木織さんには地元商店街を愛する気持ちがうかがえます。行政との協働したまちづくりもすすめます。注目すべきは、東京の美大生の連携。すべてその仕掛け人が、NPOの代表の木織さん。木織さんのアイデアとバイタリティーと行動力には脱帽です。

 東京の芸大や武蔵野美大、多摩美大・・・の学生たちの帆布を使った作品をマスコミが取り上げ、全国へ広がりました。一人の学生が帆布を気に入り、東京の美大生に声をかけ、10人ほどが尾道に1ヶ月アトリエで作品づくりをするために、毎年尾道へきます。その宿泊には、寺や廃校になった小学校、商店街の空き店舗を木織さんが交渉しました。そこでの作品『尾道帆布展』が注目されました。
 いまやいったん就職した美大生が、東京での仕事をやめて尾道へ移り住んでいます。東京での給料35万円が半減されても尾道での生活を選ぶのです。
 木織さんは笑いながら言います。「家賃や物価は安い。ご近所の畑を通るとき『こんにちは』とにっこり笑えば野菜がもらえるよ。」と。木織さんのアドバイス通り、畑と通るときはにっこり笑い、移住した若者は10万円あれば十分生活ができると尾道の生活に満足しています。

 現在作品展の『尾道帆布展』と商店街の一角を使い帆布のワークショップを毎年交互にします。瀬戸内海を挟んだタオルが特産の今治と綿綿サミットを企画したり、尾道以外の地域との連携も広がっています。

 今年は、内閣府、県の助成をうけ、新たなチャレンジをします。尾道特有の草木で草木染をした帆布の商品開発です。また子どもたちとも綿を植えはじめました。

 地域資源を活かした尾道の新たな土産は確立でき、ミッションの一つは目標達成ができました。「昨年度売り上げが7000万円、もうこれ以上営利追求はしない。」と木織さんは夢を語ります。「これからは江戸文化を継承、脱エネルギー。尾道の子ども全員に綿を植え、糸を紡ぐことを経験させたい。綿から糸にするまですべて手作業できることを経験させたい。楽しくやることが一番!」

 港町・尾道で社会的起業の原点を感じました。NPO工房おのみち帆布のこれからの活動にも注目したい。