自立した自治体は可能か

2010年11月15日 02時32分 | カテゴリー: 活動報告

国分寺・市民憲法教室「地方自治と分権改革の動向」を学んで

国分寺・市民憲法教室10周年時のシンポジウムをまとめた本。山崎眞秀先生の「お互い憲法を学ぶことで、自立した市民として育ち合おう」という言葉が印象に残っています。
国分寺・市民憲法教室10周年時のシンポジウムをまとめた本。山崎眞秀先生の「お互い憲法を学ぶことで、自立した市民として育ち合おう」という言葉が印象に残っています。
 「知識として持っていた議会の理念、制度と、これほど乖離している存在がほかにあるだろうか」(故山崎眞秀先生の著書『自立した自治体は可能か』より)国分寺市長を経験した憲法学者故山崎眞秀先生が実感した議会です。

 国分寺・市民憲法教室の2010年度第4回目の学びは、一橋大学法科大学院の只野雅人先生を講師に招きました。

 国は、「地域主権」をスローガン的に声高に言っています。なんとなく耳障りが良いが、憲法学からいうと違和感のある言葉だそう。アメリカのように連邦と州が独立している関係ならば、理解できるが、主権と統治権が単一不可分であるというのが日本の考え方。「地域主権改革」という言い方が、政府が取り組んでいることにしっくりくる。地域主権改革とは、住民に身近な行政は地方公共団体が自主的かつ総合的にひろく担うようにするとともに、地域住民自らの判断と責任において地域の諸課題に取り組むことができるような改革をいう。

 そもそも前政権の1999年地方自治法改正の地方分権改革で機関委任事務を廃止し、国と地方の事務配分の見直しが行われてきました。2008年12月の地方分権改革推進委員会・第2次勧告で地方政府確立に向けた地方の役割と自主性、法律による不必要な「枠付け」「義務付け」の撤廃、「上書き」の許容もしてきた。

 そして昨年発足した政権は、2009年12月の地域主権改革で第3次勧告。2010年6月地域主権戦略大綱で、明治以来の中央集権体質から脱却し、この国の在り方を大きく転換すると意義を述べています。

 もちろん私は分権は進めるべきと思う。しかしナショナルミニマムを十分話あわないまま、地方分権が進むことにも不安を感じるのも正直な気持ちです。なにより分権の受け皿である地方自治体の在り方も問われているとも実感します。

 さて以前長野県佐久市の総合文化会館建設賛否を問う住民投票について思うことブログに書きました。11月14日佐久市民は50%を超える投票行動で、建設NOと判断しました。市長や議会が民意とズレないか直接に市民に聞くという住民投票をしました。

 分権改革進めるには、住民自治が重要だと思う。今、地方議会、地方政治をめぐる問題が市民から問われていることを私は議員として身にしみて感じます。と同時に、まちづくりは市民のもの、その仕組みも必要な時期!地域主権改革が進むとともに自治体の力量も問われるのではないだろうか。