今、『五日市憲法草案』が輝く

九条の会・あきしまの学習会に参加して

 九条の会・あきしまが主催、鈴木富雄さん(写真左下)による「今、五日市憲法草案が輝く」の学習会に参加しました。

 映画『日本の青空』で日本国憲法は、押し付けられた憲法ではなかったということを鈴木安蔵先生ら「憲法研究会」の草案を通して証明されました。
 
 現憲法の間接的起草者鈴木安蔵さんは、「植木枝盛の東洋大日本国国権案など私擬憲法20余を参考にした」と1945年12月29日の毎日新聞の質問に答えています。日本の自由民権運動の精神が、現憲法に生かされているのです。
 
 1945年五日市憲法草案は発見されていませんでしたが、大日本帝国憲法公布前の個人や団体で、植木枝盛らのような自由民権運動の流れの中で、私擬憲法を作る動きが各地であったことは、歴史に残っています。
 
 とくにこの五日市憲法草案の人権規定のすばらしさには、驚きました。国民の権利に関する条文が150余りあり、国内外から評価されています。
 
 この憲法草案には、仙台藩の千葉卓三郎(写真右下)や名主の深澤権八らが深く関わっています。欧米諸国の人権規定の丸写しではなく、徹底討論されて作り上げられたことには、目からウロコでした。時の政府で弾圧もきびしくなりながらも、老若男女の農村民衆とともに『五日市学芸講談会』で月3回も討論を重ねています。五日市学芸講談会の討論議題には、「議員ノ選挙ハ税額トス人口ノ何レ二由ルベキヤ」「女帝ヲ立ツルノ可否」など興味深い議題です。

 自由民権運動の流れとはいえ、当時の農民たちがなぜここまで運動に関わったかは、江戸時代より重い三つの負担が大きな理由です。一つは、江戸時代の年貢から地租という形で地価に応じた金納による税が課されたこと。二つめは、学制発布による教育費の重い負担。三つめは、江戸時代まで武士が担ってきた兵役が徴兵制ということで庶民に課せられたからです。

 私擬五日市憲法草案は、そのような当時の庶民が作った憲法です。今の日本国憲法の精神にも深く関わっていることを実感しました。

 今もあきる野の市民には、五日市憲法草案の精神が流れています。まず、1995年の秋川市と五日市町との平成の大合併のとき、住民に聞くべしと住民投票の直接請求をしました。またその後の粘り強い住民による「合併」検証は、五日市憲法の精神に通じるのではないでしょうか。
 
 さて同じ多摩地域に住む昭島の市民として、五日市憲法草案は誇らしく思います。そして今の政治のあり方を五日市憲法を通して、考えさせられました。果たして、今の市議会がきちんと討論できているのか。人権規定を自分たちの言葉で作りあげた先人たちの精神をしっかり学ばねばならないとあらためて思いました。